Published at: 05:02 am - 日曜日 2月 01 2009
作品の組成
- 絵というものは媒体である支持体と離して作ったり考えたりすることは出来ません。絵を見て脳内で再現される図像があったとして、必ずその作品を見るには物質としての支持体や画材などが必ず必要になります。
絵をいざ描こうとして完成し時を経て欠損・退化・劣化していくまでのあいだ、紙やキャンバスを用意したときがまず物として感じます。そして下書きされ描かれると同時に、図像が立ち上がる、絵の具を塗り込み過ぎると物質性は強くなるし、完成し展示されたり保管されるうちに、破損するかもしれません破棄されるかもしれません。そんな絵のプロセスを考えると、図像が強く印象づけられるときもあれば、物として強く印象づけられるときもあります。
僕が作品を作る場合、完成時点で、絵としても感じる、物としても感じる、どちらも同時に感じるような作品を作ろうとしています。
歴史の組成
- 殆どの作品は、日本美術史の洋風画からイメージを引いています。ものそのものかもしれないし、絵かもしれません、遠近法かもしれません、描き方かもしれません、画材かもしれません。日本美術の作品の中から洋風画をヒントに妄想の洋風画史を構想し、アジアの美術史や現代美術のことも構想に絵を作っています。日本美術における洋風画の歴史は折衷の創作史でもあり、創作のイメージの根源のようなものもあったと考えています。洋風画は純粋な外国の文化でもなく国内の文化でもないかのように見える、国内の文化です。また現在のグローバリズムと反動的なローカリズムの世界の上で、日本美術におけるストレートな洋風画を作ることが不可能とも考えていて、逆にねじれた洋風画を作ることに可能性を感じています。
様式の完成
- 言文一致とは日本文学の世界で明治時代に、今までの文語文にかわって日常語を用いて口語体に近い文章を書くことを主張し、実践した運動と、書かれた文章を指すと言われます。話し言葉と書き言葉をどうやって結んで書くか?ということと、それによって話し言葉も一部書き言葉のように出来た話術もあったと推測できます。
僕が絵を描く場合、どちらともつかない様を考えの要として、洋風画におけるナショナリズムのどちらともつかない様と、絵画における図像と物のどちらともつかない様を結びつけた作品作りと様式の完成を目指しています。
2430x2465mm 01/11/2007
山内崇嗣の関心は主に三つある。まずはよく知られた「あひるとうさぎ」のだまし絵が示すような問題。一つの図柄が交互に二つの異なるイメージに見える、というものだ。もう一つは日本近代洋画の問題。そこでは西洋絵画のモチーフやマチエールを援用して、同時にどうしようもなく「日本」の匂いがする絵画が生み出されてきた。最後の一つは絵画の根本に関わる問題である。平面でありながらそこに奥行きや立体感が認識される、また平面といいながら厚みも手触りもある物体として絵画が存在する、といったことだ。これらはいずれも、結論が何かと何かの中間に宙吊りとなっているところに共通点がある。