カタログテキスト書きました。

2009年3月27日(金)から4月27日(月)までワタリウム美術館行われる中原昌也ペインティング/ペンディング展』のカタログに展示されている作品について記事を書きました。タイトルは「我輩はカモであるかも」です。宜しくお願い致します。

中原昌也『ペインティング/ペンディング展
2009年3月27日(金)?4月27日(月)
会場:ワタリウム美術館 オン・サンデーズB1(東京・青山)

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project N 27 山内崇嗣 |東京オペラシティアートギャラリー

懐かしい未来の絵画

  • 2006|project N 27 YAMAUCHI Takashi|Tokyo Opera City Art Gallery

    2006|project N 27 YAMAUCHI Takashi|Tokyo Opera City Art Gallery

    オニグルミを描いた山内崇嗣の新作について考えていると、ふと人面魚を思い出した。何故当時あれほどの大ブームになったのかわからない。コイの模様が人の相貌に似て見えただけの、今にして思えばたわいもない話だ。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という有名な川柳がある。実在しないものでも、人間はその心理状態によって、それが現実に存在すると思い込んでしまう。逆にいえば、たとえ実在するものであっても、見方によっては、非現実に見えることになる。
    騙し絵トロンプ=ルイユは、こうした錯視を意識的かつ積極的に応用したものだが、そもそも絵画という表現それ自体が一種の錯覚にすぎないものにちがいない。キャンバスという二次元の虚構の世界に、現前する三次元の現実を表現するのが絵画だとすれば、当然、描かれたものは現実のたんなる視覚情報にすぎず、けっして現実存在そのものではありえない。描かれた幻影の世界――これが絵画の始原の姿だったはずだ。

  • もっとも、山内の絵画は、幻影性イリュージョニズムを執拗に探求する現代絵画のさまざまな企図とは一線を画している。ヒツジやサルの顔を思わせるオニグルミの葉痕を描いた作品0000000000にしろ、画家の関心が、たんに大脳生理学的な知覚情報の混乱でないことは、ほかの作品を見れば明白だからだ。
    たとえば、折衷様式と呼ばれる旧三重県庁舎(1879年/1966年移築0)、旧小笠原伯爵邸(1927年00)、一橋大学(1927年000)などの戦前の擬洋風建築や、リアリズムを追求した高橋由一(≪左官≫、1973-76年、金刀比羅宮蔵00)や岸田劉生(≪壺の上に林檎が載って在る≫、1916年、東京国立近代美術館蔵0)の近代日本洋画、あるいは心霊写真0を描く作品がある。モティーフのキッチュさに大きく依存したこれらの作品は、幻影性の創出に代わって、忘れられつつある「美」の再発見を提起する。

  • 727x606mm 30/06/2006

    727x606mm 30/06/2006

    独創的オリジナルな美の創造を放棄して、山内が目指すのは、近代主義モダニズムが打ち捨てて顧みなかった美的価値だといっても過言ではないだろう。バルザックの小説『知られざる傑作』に登場する幻の傑作≪美しきいさか≫に着想をえた、女性の足元だけを描いた作品0がそのことを示唆してくれる。「芸術の使命は自然を模写することではない、自然を表現することだ」という崇高な理想の挫折を描いた、19世紀前半のフランスの文豪によるこの短篇に関して、ドーレ・アシュトンは、独創性オリジナリティこそをもっとも重要な命題だとする架空の天才画家フレンホーフェルの言説に近代主義がはっきりと予見されていることを論証している[注:1]。
    だから、山内が着想をえて描く戦前の建築や絵画が、どこかしら過去への郷愁ノスタルジーを喚起させるとしても、けっして不思議ではない。

  • しかしながら、彼の回帰が単純な懐古趣味でないことはその展示構成に充分に表れている。出品リストの番号は61までだが、じっさいに展示されているのは52点で、しかもそのうちの1点は何も描かれていない無地のキャンバスだ。また、題名がすべてサイズと制作年月日を示す数字と記号の組合せになっている出品作は、横幅こそ異なるものの、縦幅が均一に揃った7種類のキャンバスに描かれている。欠番があるのは、廃墟と化した100年後の美術館をイメージしたためだというが、シリコンで絵具を意図的に剥ぎ取る技法ともうまく符合している。
    整然と並んだ作品を見廻せば、リアリズムからミニマリズム、コンセプチュアリズムにいたる、現代絵画の多様な実験をあたかもサンプル化したかのようだ。こうした展示構成が、過去への郷愁とともに、現代絵画の可能性を垣間見せてくれる。幻影性の追求でもその安直な否定でもない地平で、山内崇嗣は自らの絵画の進むべき道程を模索している。

  • 注:1――Ashton, Dore. A Fable of Modern Art. New York: Thames and Hudson, 1980.

    2006|project N 27 YAMAUCHI Takashi|Tokyo Opera City Art Gallery

    project N 27 YAMAUCHI Takashi|Tokyo Opera City Art Gallery

    2006|project N 27 YAMAUCHI Takashi|Tokyo Opera City Art Gallery

    project N 27 YAMAUCHI Takashi|Tokyo Opera City Art Gallery

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    喫煙室のタイルから

    • 727x1167mm 02/10/2005

      727x1167mm 02/10/2005

      山内崇嗣は、昨年の個展で、「廃墟マニアが観光に出向くように、僕が廃墟なった近現代の美術館で楽しく見学する風景を想像しつつ構成するように、そういう風景ができあがるように展示を構成し作品を制作した。」と語っている。「建築シリーズ」と名付けた一連の作品は、表紙の作品の〈小笠原伯爵邸〉や〈一橋大学〉〈旧三重県庁舎〉〈住友銀行広島支店〉など 明治、大正期に作られた洋風の建築物をテーマにしている。また高橋由一、岸田劉生やクールベといったやはり明治、大正期の画家たちの作品の構図等を意識的に取り入れた一連の作品もある。今存在する近現代美術館が廃墟になるのは、100年先のことだろうか?彼がイメージした、その時そこに展示されている作品が、今から100年も前の建築や絵画を取り込んだ作品であることは、我々の時代の芸術が、ロスト・ジェネレーションならぬ、ロスト・アートであると突き付けられているような気もしないではないが、彼の意図するところは別にあるのであろう。表紙の作品は、〈小笠原伯爵邸〉である、と言われて合点がいくひとは、建築マニアに違いない。1927年、小笠原長幹伯爵の邸宅として、現在の新宿区河田町に建てられたこの洋館はスパニッシュ様式であり、スペイン瓦や特製タイルの装飾が施されていることが特徴的で目をひく。特に円形の喫煙室は国内では珍しいイスラム様式の装飾がなされている。このシガールームの上部の円形を覆うタイルの装飾模様を山内はクローズアップして描き、その部分部分をところどころ再び、白色の絵具で覆い隠している。しかし画面に残った模様の断片は、廃墟に埋もれている既視観のある遺物などではなく、あたかも初めて目にするような魅力ある形態として観るものの元に戻ってくる。そこで観者は気付くだろう。決して古(ルビ:いにしえ)のものへの賛美として100年前のものを辿り直しているのではなく、過去も現在も未来の境界も無化しつつ、絵画に何ができるかを実験しているということに。
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